注意義務を十分に尽くした場合、法的責任は問われません

医師として要求されるべき注意義務を十分に尽くしたにも関わらず、不幸にして医療事故が発生してしまった場合には、医師は患者から損害賠償責任、つまり法的責任を問われることはありません。

これが、損害賠償請求の第一の要件としての「医師の過失」の問題です。医師の過失がないにも関わらず責任追及が認められたのでは、医師からすれば「不可抗力」による損害についてまでもが賠償請求の対象となることになり、医師を目指す人は誰もいなくなるでしょう。

ただし、被害者救済の面に重点を置けば、たとえ過失がなくても賠償責任を認めるという考えがないわけでもありません。現に、国の施設の瑕疵・欠陥により国民に被害が生じた場合には、国の施設管理上の落ち度を問題とすることなく、瑕疵・欠陥があることさえハッキリすれば賠償責任を認めるという、一種の無過失責任に近い責任を是認している例もあります。

しかし、医療技術が複雑高度化する中で、医師に無過失責任を肯定することは医師側に過酷な結果を生じさせることになります。その意味で、過失に関する患者側の立証負担を軽くすることは考えられても、「過失」という要件そのものが不要になることはないでしょう。

医師の過失の有無を判断する際の規準となるのが、医療水準です。最高裁判所は、この医療水準について、「臨床医学の実践における医療水準」であると述べています。

ここで気をつけたいのが、臨床医療の現場において平均的医師が現に行っている「医療慣行」=「医療水準」とはならないということです。したがって、医療慣行に従った医療を行っていた場合でも、法律的な観点からは過失ありと判断される場合もありえます。

なお、2009年には医療行為としては初の無過失補償制度として「産科医療補償制度」が開始されています。この制度は、出産時に重度の脳性麻痺が起きた場合、医師に過失がなくとも総額3000万円の補償金を支払うというものです。

医療裁判で重要となるカルテ、薬剤添付文書、ガイドライン

一般の民事訴訟では、証人の証言が有力な証拠として採用され、裁判の行方を大きく決定付けます。また、刑事訴訟では、被告人や被疑者、目撃者の陳述を録取した調書、現場検証の検証調書、物証が重要な証拠となります。

電子カルテで記録に残す

医療裁判においても、これらが重要な証拠として採用されることにはなんら変わりありませんが、医療過誤が密室で起きること、専門性が高いこと、法律で客観的な記載と保管が義務づけられていることから、カルテが証拠として果たす役割は非常に大きいといえます。また、ガイドラインや各種マニュアル、薬剤添付文書なども同様に重要です。

このように、医療裁判では、カルテなどの各種医療記録、鑑定書といった文書を頼りに、事件を時系列的に再現し、過失の有無、因果関係の有無を判断するのです。したがって、カルテなどの医療記録を記載するときには、万が一を意識した記載をしておく習慣が大切となります。

医療裁判では、医療側が「実際の臨床現場では、自分たちの病院のような手順で運営を行うのが一般的」と主張しても、裁判官がその主張を受け容れず、医療側の主張で触れなかった薬剤添付文書やガイドラインを引き合いに出して、過失ありと判断することがしばしばあります。

薬剤投与については、最高裁で「薬剤添付文書に記載された使用上の注意事項に従わずに医療事故が発生した場合には、従わなかったことについて特段の合理的な理由がない限り過失が推定される」と判事されています。

また、私立病院で起きた医療事故に国立病院におけるガイドラインを適用して、その過失を認定した事例もあります。したがって、薬剤添付文書や各種ガイドラインには十分な注意を払っておく必要があるといえます。

医療裁判だからといって、医療の専門的な知識を有した裁判官が裁判を担当するということはありません。むしろ、裁判官は医療の専門知識を持っていない素人であるのが普通です。そのため、訴訟の現場では、中立かつ専門的な知識・経験を有する立場である医師などのに鑑定を依頼し、提出される鑑定書に基づいて判断を下すことになります。

ただし、鑑定書は裁判官に対して拘束力を持っているわけではありません。実際、鑑定書は信用できないとして、裁判官が自己が抱いた心証に従って、全く違った結論に至った事件もあります。当事者としては、各種医学文献を調べて、自己の主張の正当性を立証するように心掛けるようにしましょう。

インフォームド・コンセントでは、「十分な」治療上の説明が必要

90年代後半以降、医療訴訟が増加するにつれて、治療や手術ミスを争う従来型の訴訟に加えて、「インフォームド・コンセント(十分な治療上の説明)がなかった」、「適切な医療水準の治療を受けられなかった(期待権の侵害)」を理由とする新たなタイプの訴訟が増えてきました。

医師には説明責任が生じる

例えば、60代の前立腺肥大症の患者が手術後の後遺症として「勃起不全になった」という裁判を起こした例があります。理由は「薬物療法という代替治療の説明を受けることなく手術を受けた結果、男性としての機能が奪われた」というものでした。

病院側は「前立腺肥大の根治には、手術しか選択肢がなかった」と患者に説明したとのことでしたが、薬物療法では「根治」しないという説明が不足していました。つまり、「十分な説明」がなかったと判断されました。

術後の後遺症についても、「男性機能が低下するケースもある」と説明は、男性の年齢(60代)を考えて、必要はないと勝手に判断して、省略してしまいました。インフォームド・コンセントは、直訳で「説明と同意」と捉えるのは危険で、「十分な」説明を付け加えないと、裁判の争点になるということです。

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